連載第9回目(全14回掲載予定)

《ピアノ・ディスタンス》は、高橋悠治のために書かれた。1961428日に草月コンテンポラリー・シリーズの「グループ・イキジビション」で初演されている。

この曲は冒頭から作曲当時の新しい前衛的な手法を取り入れようとする武満の気概が感じられる。小節線はあるが拍子の指示はない。代わりに「1小節を3秒で」と指示がある。とはいえ、時計片手にきちっと3秒を要求しているのでないのは楽譜の内容からして明らかだ。人の呼吸に由来するという林光さんの言葉がある。私も同意。でも、素朴な疑問が浮かぶ。なぜ「呼吸の速度で」と記さなかったのか?

それには時代的背景と関係がある。曲が書かれた1961年、武満はまだ日本を出たことがなかったが、視線の先には広い世界、とくに西洋の音楽界があった。武満は世界の前衛音楽家と並び共有しあえる最先端の技術を身につけていた。前衛の音楽は理性が重んじられ情緒を排する傾向があったが、武満は理性や技術を目的とした音楽には仕上げていない。合理的な数字で示しながら呼吸する速度が暗示されているのもそのひとつだ。

 この曲について武満自身は「強いて言えば弱奏(Soft dynamic range)における色彩の変化のグラデーションについての小さな論述」と述べている。

深見まどかピアノリサイタル2026-イメージ写真

20小節目に「Like bell sound(鐘のような響きで)」と記された和音(A-Fis-C-F-As)はこの曲のキーとなる(鐘と指示されているのは20小節目のみ)。この和音を属七、ドミナントの響きとみなす人もいる。なるほど、Dを補う考え方。ドミナントとは、西洋で発達した機能和声をもととする調性において重要な役割を果たす音。それを聴き取った、あるいは楽譜からそう読み取った判断。しかしそれに続く21 小節目の音(A-G-Es)もセットで考えたいところだ。「Like bell sound」は21 小節目の和音が後から添えられることで作りだせる響きだろう。これは近代的な音楽からの発想ではないと思う。

武満は「タイトルに特別な意味はない」と記しているが、そうだろうか。いま指摘した箇所で私はピアノの鍵盤の一つ一つの音と機能和声との距離(ディスタンス)に想いを馳せている。

©2026 小野光子

【参考文献】

林光「大疑――告白的武満論」『音楽芸術』19673月号、1217
井上直幸『ピアノ奏法 : 音楽を表現する喜び』春秋社、1998
野平一郎「20世紀のピアノ音楽 バルトークと武満徹」『ムジカノーヴァ』2000年、5月号、8486
下牧浩子・岡田暁生「身体を通して見えてくる『タケミツ・トーン』神戸大学発達科学部研究紀要 第10巻第2 p.149-159
原塁『武満徹のピアノ音楽』アルテスパブリッシング、2022