45日(日)のコンサートでは、武満徹のピアノ独奏曲が年代順に演奏される。

『武満徹全集』(小学館)は年代順に作品を収録したが、《閉じた眼》と《雨の樹 素描》は例外で、「I」「II」とシリーズとして書かれていることを考慮し並べて収録した。「I」と「II」の違いはあり、年代順で見えてくることもあるが、発想の源としては同じ根をもつので字数に限りがあるここでは以下、まとめて述べたい。

《閉じた眼――瀧口修造の追憶に》《閉じた眼》は、オディロン・ルドンの『眼を閉じて』にインスピレーションを得て書かれた。ルドンのこの絵は、黒から鮮やかな色彩の表現へと変貌した転換期にある重要な作品として知られる。武満さんの創作においても同様のことがいえる。武満がピアノで作曲する人だったことは前に述べた。ピアノ作品はまるでそのスケッチのようだ。この時期から武満のオーケストレーションは、ルドンの『グランブーケ』のような華やかな色彩をおびてゆく。

 《雨の樹 素描》《雨の樹素描 II》は大江健三郎の小説『頭のいい「雨の木(レイン・ツリー)」』で描写された「雨の木」からインスピレーションを得た作品。詩人のように言葉に繊細だった武満は、大江が「木」と記したのを「樹」と改めた。そして木の生命力を表す意味を強めて宇宙の秩序を表す宇宙樹へ、雨は宇宙を循環する水へとイメージを膨らませた。この連載の第10回でふれた《ピアニストのためのコロナ》もそうだが、武満は人間だけでない広く大きな生命圏を視野にいれている。

雨はポツポツと規則的に落ちるときもあればポリリズムなこともある。《雨の樹 素描》にはそうしたリズムを感じる部分もあるが、曲の中間部(35小節目)に「senza misura」(拍子なしに)とされたリズムの無いところがある。同じ音形が2度繰り返されてエコーのように響く、鐘の音のような瞬間。ガランゴロンといくつもの音を鳴らす西洋の教会の鐘とは異なり、日本の梵鐘のように一度叩いたあとの余韻が美しく長く響く。武満特有のこの部分はピアノのペダルが不可欠となる。そして私はこの曲をいろんなピアニストで聴いてきたが、それぞれの違いが出る箇所なので面白いと感じていた。

以下は私見。35小節目の最初はフォルティッシモで低いA(ラ)がオクターヴで奏される。フォルティッシモの強い打弦で衝撃音が混じるため、少し高めに響く。フェルマータが付されているのは本来のA(ラ)の音程に落ち着くのを待つためだろう。でも音程が安定した途端に音は減衰してゆく!それを武満はソステヌート・ペダルで保持する指示を書いている。

音の性質、楽器の性質をよく理解している作曲家だとつくづく思う。この箇所についてまどかさんが実践してくださった。詳しくは動画をご覧ください――音の響きがどこまで動画で伝わるか、また、進行中の課題でもある。ご笑覧くださったら幸いです。

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