武満徹がピアノに託した歌 —— その実験精神の内奥へ。誠実に高みを目指す彼女に期待!

連載第2回目(全14回掲載予定)

武満徹には、ピアノに関するよく知られたエピソードがある。終戦後、焼け残った住宅地を歩いていてピアノの音が聞こえたら「ごめんください、5分でいいから弾かせてください」と乞うたとか――そして断られたことは一度もなかった――、学校にピアノがあるから弾きたい。でも鍵がかかっている。最初は先生に頼んでいたけれど、だんだん面倒になって鍵を壊した、そんなことをするから使用中止になった、友人宅のピアノを借りた――。

中でも有名なのは、紙に鍵盤を描いて音を空想したという話。そういえばピアニストのダン・タイ・ソンもベトナム戦争下でそうした“紙ピアノ”を作っていた。本人たちはそうせざるを得なかったわけだが、音を想像することが音楽家にとってどれほど大切な行為か、ふたりの音楽家としての音と音楽との関わり方を見ると、私たちは学ぶことがあるように思う。

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武満は小学生のときに学校の先生に音楽の才能を見出されて放課後にピアノを教えてもらったことがあるらしい。この戦前の話を武満は語ったことはなく、武満自身によるピアノに関するエピソードは先にあげたように戦後になる(武満が小学生時代の思い出として語ることといえば暗闇での映画体験、そして映画の音楽だった)。

武満の将来を決定づける出来事は武満が15歳になる年、勤労動員で駆り出され肉体労働が続く辛い日々を送っていた終戦間際に起きた。ある一人の見習士官が密かに蓄音機でレコードを聞かせてくれたのだという。竹製の針を通して流れてきたのは敵性音楽として禁じられていたシャンソン、リュシエンヌ・ボワイエの歌う《パルレ・モア・ダムール》で、その時の感動が武満に「戦争が終わったら音楽家になる」という決心をさせた。武満にとって関心のあった音楽が、一気に目的をもって方向を定める対象となった瞬間といえよう。そして戦後――武満は創作を試みるようになり、ピアノを必要とした。

リュシエンヌ・ボワイエの《パルレ・モア・ダムール》をぜひ聴いてみて欲しい。え? 武満さんの作品とこのシャンソンのどこが関係するのかって? 私は武満さんが作曲したコンサート作品、映画、テレビやラジオの音楽、編曲作品のどれをとっても、広く深い意味での愛を感じている。武満さんの音楽に励まされ、心が救われた経験がある。そのため愛を歌ったこの優しい歌声が運命を決めたという武満さんの言葉は嘘偽りのない真実だと実感している。

【参考文献】

立花隆『武満徹 音楽創造への旅』文藝春秋社、2016年
武満徹『夢の引用』岩波書店、1984年(『武満徹著作集 第3巻』新潮社、2000年)
『武満徹著作集 第5巻』新潮社、2000年
武満浅香『作曲家・武満徹との日々を語る』小学館、2006年