連載第7回目(全14回掲載予定)
《二つのレント》は武満の作曲家デビュー作。1950年12月7日に読売ホールでの「新作曲派協会 第7回作品発表会」で藤田晴子により初演された。第1曲〈Adagio ed tempo di Libero〉、第2曲〈Lento misteriosamente〉という二つの楽章をもつ。
ドビュッシーの《レントより遅く》は念頭にあっただろうか。師の清瀬保二はドビュッシーに魅せられた人だったから武満はこの頃すでにドビュッシーの作品を知っていたはずだが、武満の証言はない。
第1曲には《ロマンス》の影が見てとれる。大きく変わったのは第2曲である。武満によると、近所に住む一柳慧を通して当時日本ではほとんど知られていなかったO.メシアンを知り「色彩が広がった」。色彩と捉えるところが、美術への関心も深い武満らしい。
会場には美術家の山口勝弘、北代省三、岡本太郎も来ていた。武満が図書館や美術家の集いに通い広がった人脈だ。加えて山口と北代を通して出会った、武満がのちに「ぼくにとって本当に音楽をやる上での先生と呼べる人」である瀧口修造も来ていた。さらに、慶應義塾大学の「現代音楽研究会」に所属する湯浅譲二と、早稲田大学の文学部に所属しながら慶應のこの研究会に顔を出していた秋山邦晴が来ていた。そして終演後に湯浅と秋山は作曲者である武満に会いたいと楽屋を尋ね、彼らは生涯の友となる。

武満さんの生い立ちを見ていると、武満夫人の浅香さんが筆者に「いい音楽と友達は人生の宝よ」とおっしゃっていたことを思い出す。武満も友という存在を大切にする人だったことは、人と作品にまつわるいくつものエピソードからわかる。
武満は20歳の時に書いた《二つのレント》を還暦直前の1989年に作曲し直し、タイトルを《リタニ》と改め(Litany はキリスト教で「連祷」の意)、急逝したマイケル・ヴァイナーに捧げた。ヴァイナーはロンドン・シンフォニエッタの音楽監督で、武満を特集したコンサートを1980年代に企画し武満と交友があった。日本で現代音楽祭「今日の音楽」を企画・構成していた武満はヴァイナーと同じプロデューサーとしての立場で音楽界の現状や将来について話し合うこともあっただろう。デビュー作を捧げるとは、武満にとってヴァイナーは親友と呼べる存在だったと感じさせる。
『The Music of Tōru Tamietsu』(Cambridge University Press, 2001)を著したイギリス人のピーター・バートさんは「レント」を「連祷(れんとう)」にしたのは武満の言葉遊びでは?と記している。ほんとう、そうだと思う。
《二つのレント》の初演評が「音楽以前」だったことは有名だ。高名な批評家の言葉をバネにするかのように若き武満は仲間を得て、活動の幅を広げてゆく。
【参考文献】
秋山邦晴『日本の作曲家たち』上下巻、音楽之友社、1978・1979年
『日本の作曲20世紀』音楽之友社、1999年
立花隆『武満徹 音楽創造への旅』文藝春秋社、2016年
ピーター・バート『武満徹の音楽』音楽之友社、2006年