連載第8回目(全14回掲載予定)
瀧口修造と同世代の美術家と出会ったことで、武満は作曲家として独特の立ち位置を築いてゆく。美術家とのコラボレーションはその一つ。
もともと美術に関心があり“ジャンルを越えた視点”をもつ武満という作曲家の種に水と養分を与えたのは、瀧口修造だった。瀧口は武満を含め、瀧口の周りにいた無名の若者たちにバレエという総合芸術を創作する機会を与えた。それを機に1951年に結成されたのが「実験工房」(命名:瀧口修造)である。
脚本を秋山邦晴、舞台衣装・美術を北代省三、山口勝弘、福島秀子、照明を今井直次、音楽を武満と鈴木博義が手がけバレエ『生きる悦び』は作られた。「実験工房」はその後、仲間が制作したオブジェを舞台におき照明を工夫した形での音楽会を開催し、同時代の作品を紹介した。テープレコーダーを用いたミュージック・コンクレートを試みるなど新しい技術への関心も深かった。音楽界といえば明治期に導入された西洋の音楽を学び芸大に入りヨーロッパに留学することが王道だった。それと比べると「実験工房」は異色だ。
余談だが、筆者は虎の門病院の待合室で鈴木博義さんにばったりお会いしたことがある。2004年だったか。わずかな時間だったが温和な鈴木さんは笑顔で当時の話をしてくださった。「実験工房」主催の会はいつも盛況で、会計を担当していた鈴木さんと湯浅譲二さんは箱からお金が落ちないように手で押さえながら帰った、と。「実験工房」は世間の注目の的だったのだ。

さて、武満のピアノ曲《遮られない休息》のタイトルは瀧口修造と阿部芳文(のち阿部展也)の詩画集『妖精の距離』所収の同名の詩からとられている。絵画が左ページに、詩が右ページに掲載され、両者が同等に組み合わされたこの本は、現在では日本のシュルレアリスムの金字塔とみなされている。この詩+画の本に、武満によって音楽が加えられたことになる。
1952年に第1曲〈ゆっくりと悲しく、語りかけるように〉が書かれ「実験工房第4回発表会」で園田高弘により初演、1959年に第2曲〈静かに残酷な響きで〉と第3曲〈愛のうた〉が加えられて「新ピアノ・グループ 第3回現代日本ピアノ曲の夕」で藤田春子により初演された。第1曲が書かれて7年の隔たりがある。その間に武満は生死をさまよう大病を克服し、1954年には愛する女性と結婚をしている。第3曲は瀧口とともにその後も武満が参照することになる作曲家アルバン・ベルクに捧げられた。
この曲は多くのピアニストが演奏しており、そこから筆者は楽譜からではわかりにくいこの曲の魅力、音符のあとに響く余韻の美しさを教えられた。深見まどかさんは最新CDで余韻に着目し、日本とフランスの作曲家の作品をアルバムに収めたピアニスト。今回、どんな演奏をするのか楽しみだ。
《サーカスにて》は、『美術手帖』1952年6月号にサーカス特集が組まれた際に書かれた。雑誌の掲載が唯一の楽譜で冒頭部分しかない。大映と毎日新聞社の主催で来日したオール・アメリカン・サーカスの公演に合わせた企画で、そのほか当時、大映では佐伯幸三監督による映画『猛獣使いの少女』も作られた。音楽は武満ではなく渡辺浦人さん。江利チエミの銀幕デビュー作と歴史に刻まれている映画だ。武満の創作周辺から見える世情というのも面白い。