連載第5回目(全14回掲載予定)

武満徹は東京芸術大学を受験したことがあるという。結局、最後まで試験を受けずに独学の道を選ぶのだが、作曲をしたいと話したら親戚筋からそのためには芸大を、と言われたそうだ。受験にはピアノの実技試験がある。そのために武満が準備していた曲、それがショパンの前奏曲の「いちばん短い、いちばんやさしい曲」だったと武満は明かしている。

エッセイストとしても知られる武満は、1958年と1960年にショパンについて毎日のように弾くほど好きだと記している(後者は『武満徹著作集第5巻』再録)。

戦後の音楽雑誌を見るとショパンの特集が何度か組まれており、ショパン愛をもつ人が当時の日本にすでに多くいたことがわかる。その一つ、19586月の『音楽芸術』ショパン特集号では、映画の弁士としても活躍した徳川夢声が面白いことを書いている。西洋映画(無声映画)の上映時に、あるピアニストが素晴らしい曲を演奏していたために尋ねたらショパンだった、と。

話が逸れたがこの号では「私のショパン感」と題したアンケートがあり、ピアニスト、作曲家、音楽評論家や作家や画家、文学者、総勢25名が回答を寄せている。その中に武満の名がある。武満がショパンの楽曲を通して何を考えていたのかが浮かび上がっている文で、曰く「ショパンのは生な概念で割りきれるような f ではなくて、もっと陰影に富んだものであり、音響のパウァー(ママ)は、ある時には p より数 db も低いかもしれない」。

深見まどかピアノリサイタル2026-第5回連載イメージ

そして最後に文を「個性的な作曲家は、個性的なフォルテとピアノをもっているものだ」と締め括る。この発言からすると武満はショパンのパッセージをうまく弾こうという思いでピアノに向かっていたのではない。ショパンが書いた音符一つ一つの音の質、打鍵したときの強弱とそこから生まれる音色に関心を深め、ピアノの響かせ方を考えていたようだ。このサウンド・アートにも通じる音そのものへの視点を武満がもっていたことは覚えておきたい。

【参考文献】

「ある朝突然、音楽家に……」(対談 武満徹+大江健三郎)『週刊 毎日グラフ』1963421日号
『武満徹著作集第5巻』
『音楽芸術』19586月号